こんにちは、おかてんです。
僕は大学時代に留年してしまい、周りより1年遅れて卒業しました。
当時は
「人生が終わったんじゃないのか?」
「この1年間どう過ごせばいいのか?」
と絶望していました。
今でもたまに夢で見ます。。
留年すると
- 就活で評価が下がりそうだ
- 周りからの目が怖い
- 同期が楽しそうな姿を見るのが辛い
とか、いろいろ考えてしまいます。
僕もずっと苦しんでいました。
そんな留年を経験した僕がどのような人生を送って今に至ったのか?もし留年をしてしまった人がいれば参考になったり、不安を取り除けたらと思い、書いていきます。
目次
なんで留年したの?
一般教養の単位を1つだけ落として留年しました。
たった1つだけです。
いや、そんなのお願いしたら何とかなるだろう!と思われるかもしれませんが、何回お願いしてもダメでした。
先生がドイツ人だったので、やり取りするのも一苦労で数週間やり取りが続きました。
「今までもそういう人たちを見てきたから君だけ特別扱いするわけにはいかない」の1点張りでした。
なぜ単位を落としてしまったか?
単純に不真面目でした。
高校までは勉強はできる方で、現役で旧帝大へ合格しましたが、入学してからは一気にやる気が低下。
毎期1つか2つくらい単位を落としていましたね。
それでも3年次に「このままではやばい!」と思い、専門は1から勉強し始めて、一般教養も毎回出席するようにしました。
頑張った専門分野の犠牲になった一般教養
理系にとって3年次は専門分野が一番忙しくなる時です。
そんな時に一般教養を残さないようにしましょう!
僕は残してしまいました。。
3年の後期に1つの一般教養と2年次に落とした2つの専門科目が僕に襲いかかりました。
単位を落とさずストレートで頑張ってきた友達でさえ苦しんでいたのに、それに加えて単位を残していた僕は朝から晩まで学校に行っていました。
一般教養だけはとりあえず出席はしておこうと思い、出席だけしていました。
専門教科の課題に追われていた僕は、出席が満点だったのが油断につながり、一般教養のテストはノー勉で行きました。
問題は難しく感じましたが、「まあ全出席しているから大丈夫だろう」と気楽に受けていました。
それが大きな油断でした。
成績発表の日
一般教養のテスト、専門教科の課題・テストが無事終わり、成績発表の日がやってきました。
単位が気になって日付が変わった瞬間更新されるのを待っていざ単位を拝見。
専門教科 B
・
・
・
一般教養 F
F!?
(成績は良い順にS,A,B,C評価でFが不合格)
この文字を見た瞬間、動揺が止まりませんでした。
何回も見直したが結果は変わらず、とりあえず一般教養の先生に連絡しました。
一般教養の先生はドイツ人でしたが、日本語で「再試験を受けさせてください!」とメールを送信。
英語で帰ってきましたが、内容は「再試験申請書」を提出してくださいとのことでした。
再試験をするための理由を書けということです。
普通は風邪や病気などによる理由を書くっぽいものですが、僕は正直に「留年してしまうから」と書き、提出しました。
その後、メールで連絡がきました。
内容は「その理由では受け付けられない。今までもそういう人たちがいたが認めていない。この科目を落としたら本当に留年してしまうのか?学科の担当の先生に一度聞いてください。」
すんなり再試験させてくれよと思いながらも、とりあえず学科の担当の先生に連絡。
その返事が「この科目が取れていないと4年次に上がれないことは確かです。この制度は今までも1つでも足りなかったら施行されていました。一般教養の先生にお願いして、再試験やレポートなど何らかの方法で単位を取得するしかありません。」
たらい回しですね。。この時点で僕はかなり絶望していました。
そして、もう一度一般教養の先生に連絡しました。
しかし、結果は同じ。
このやりとりを何度か行いましたが結果は変わらず。
僕の留年が決定しました。
留年中は何してたの?
まずは親に報告しました。
さすがに怒られ、悲しい思いをさせてしまいましたが、結構放置気味の親だったので何をやっとけとかは特に言われず、自由に過ごしていました。
前期
最初の半年は正直何もしていませんでした。
というか何も手につきませんでした。
留年すると就活に影響するというのは確実だと思い、まずは「留年 就活」とかで調べました。
「勉強したり、資格を取ったり何か就活の面接で言えることを作ろう!」みたいなことが書いてありました。
しかし、散々大学で勉強しない日々を送ってきた僕にとっては1年という期間があまりにも長すぎて、勉強を続けられる気がせず何も手につきませんでした。
そのかわりやったことは飲食店のバイトと当時流行っていたSNSのゲームにはまっていました。
とりあえず留年した前期の学費は自分のお金で稼いで、後期は休学するプランだったのでひたすらバイトしてました。
バイトの間にSNSのゲームをひたすらしていました。
あとは週1で1つの授業のためだけに大学に通う生活でした。
こう振り返ると結構なクズですね。。
後期
前期で半年分の学費を稼ぎ、後期を迎えました。
そろそろ就活で話せるネタとして何か取り組まないといけないと思いながらも何をすべきかわかりませんでした。
何の勉強をすれば将来役に立つのか?
どんな資格があれば就職が有利なのか?
調べてもいまいちわからず結局手をつけられませんでした。
そんな中で、「今しかできないことって何かな?」と考えたところたどり着いたのが「語学留学」でした。
ただし、これまたお金がかかる。
留学費用と数ヶ月で稼げるバイト代を考えると留学期間は1ヶ月が限界でした。
数ヶ月間バイトを頑張り、1ヶ月の留学資金を稼ぎ、留学へ行きました。
平日は授業を受けて、休日は遊ぶみたいな感じで過ごしました。
留学後の変化はこちら
- TOEICの点数が上がった
- 自己紹介などの簡単な英語を覚えた
- 英語を話す抵抗がなくなった
1ヶ月間では劇的な変化はなかったですね。
その代わりリゾート地だったので、週末は遊びまくりいい思い出にはなりました。
それでも一応就活では自信を持ってこのエピソードを話しました。
1年を振り返って
正直無駄な時間を過ごしすぎました。
もっと有意義な生活ができたなと思います。
ただ、過去のことを考えても仕方ないので留年のことは忘れて前向きに生きています。
もし留年中の過ごし方に困っている人がいれば、就活に活かせそうなスキルを身につけ、かつお金も稼げるものに取り組むことをオススメします。例えば、ブログやプログラミング、英語翻訳とかですかね。
まずはスキルを身につけるか、それとも初めからお金を稼いでみるかは考える必要がありますが、ブログや英語翻訳などはお金を稼ぐことから始め、プログラミングはスキルをきっちり身につけましょう。
お金を稼ぐ方法としてはココナラで文章の添削や英語翻訳で出品してみたり、慣れてきたらCrowdWorksでブログのお手伝いなどのライティング作業や英語翻訳とかもできます。
プログラミングスキルを身につけるには独学でなくてスクールで学習することをオススメします。独学だと挫折してプログラミングが嫌いになる可能性があります。
プログラミングはスキルをきっちり身につければいくらでもお金を稼ぐことができるので、早めに取り掛かったほうがいいですね。
あとは、ノーベル賞を取った田中耕一さんも留年していたのを知ったので、この本を読んで勇気付けられました。
その後就活までは?
その後4年生になり、理系なので研究室に配属されました。
今まで仲よかった同期が1つ上の学年なので、最初は違和感や劣等感がありましたが、次第に慣れていき、研究生活自体は大きな不満はありませんでした。
研究室に配属されてからは毎日真面目に研究室に通い、必死に研究しました。
学部卒で就活だと話すネタがないと思ったので、大学院へ進学し計3年間研究に取り組みました。
良い研究結果はそこまで残せていませんでしたが、研究という頑張った事を作ることができました。
これを武器に就活を乗り切ることができ、大手メーカーに就職できました。
もちろん留年に関して聞かれることがありましたが、すべての会社に聞かれたわけではありません。
聞かれた時は正直に理由を説明し、何をしていたのかと聞かれると留学と答えていました。
個人的な感触としては大きなマイナス材料にはならなかったですね。
1留くらいなら意外と多いのかもしれません。
今は何してるの?
現在はその大手メーカーで研究職として働いています。
就職してしまえば、年齢とかよくわからないので留年したことは薄まっていきます。
今となっては留年したことを忘れているくらいですね。
最後に
留年はとてもイメージが悪いですよね。
ただ、留年してしまったものは仕方ないので、そこから何をするのか?を考える必要があります。
僕の場合は「語学留学」という1つ大きな取り組みを就活で言うことができたので、そういうものを作っておくことは大事です。
「就活に影響はない!」とは言い切れませんが、あなたが思っている以上に企業も気にかけていません。
留年の烙印を押されるとその後の人生に大きく影響があると考えている方がいるかもしれませんが、今後の取り組み次第でなんとでも変わることができます。
留年して絶望している人がいれば、そんなに悲観的になる必要はありません、前向きに生きましょう!